今日、サイゼリアで夢分析・カウンセリングの練習を行いました。
夢分析の実例として、クライエント役で行った夢分析の内容を掲載させていただきます。
夢の内容:
自然食のお店に、お客として来ている。私は常連らしく、お店のおばちゃんと親しげに話している。時々お店のことについて提案をしたりもしている。
目が覚めると、とても気分が良かった。
夢分析:
夢の中の楽しさ
最初に夢の中の「楽しい気分」を取り上げると、自分の中に「いろいろなことが出来そうだ」という部分と、それに対して「抵抗」する部分が見つかりました。
「楽しむことが苦手」なのは以前から自覚していましたので、これ自体は別に目新しいことではありません。
今の疲れ
そのうち、ふと自分が「とても疲れている」ことに気づきました。顔を上げているのもおっくうで視線を落として、テーブルの上の夢日記に記された夢ばかり見つめています。
最初は、カウンセラー役の方とは初対面なので、何か「関係性の問題」なのかと思っていたのですが、やがて「楽しむ」ことと「疲れ」がピタッとつながりました。
楽しむにはパワーが必要
あっ、自分は楽しむためにパワーを必要とするのね☆ その瞬間、変な話ですがパワーが湧いてきました。
何かこれでひと段落した気がして、ここで夢分析を終えました。
大変さを認める
しばらくしてから、気づきの意味というか効果のようなものが明らかとなってきました。
これまでは「楽しむのが苦手」な心の部分について、そうなるに至ったトラウマを探ったり、底にある罪悪感にアプローチしてきました。
そこには「他人には簡単にできることが、自分には問題(欠陥)があってできない」、転じて「自分は簡単なことすらできない」と、自分を卑下する思考があったように思います。
今思えば、このような考え方が自動思考として働いて、様々な自信のなさを生み出していたようです。
ところが今回の気づきは、これまでのネガティブ思考に対決するものです。
「楽しめない」のは私に欠陥があるからではなく、私にとって「楽しむこと」は元々とてもパワーを必要とすること、大変なこと、努力が必要なこと、であると。
ですから、楽しめないからといって罪悪感を感じる必要はなかったのです。
もちろん努力が必要なことですから実行に移すのは簡単ではありませんが、少し気が楽になったことだけは確かです。
恐らく、「大変なこと」を大変だと認めることができたことで楽になれたのだと思います。
現実との挟間:
とはいえ、このような考え方は現実、特に能力主義・成果主義の社会では、なかなか受け入れられないでしょうね、きっと。
そのために(プライバシーの守られた)安全な場所で、ちょっと息抜きというかガス抜きが必要なのかもしれませんね。