1ページ目に掲載した、母校の美大を舞台とした夢の夢分析。
夢日記を掲載する過程で、無意識にアート・ワールドのエピソードを想起する
前ページで夢の内容を夢日記としてまとめながら、無意識に母校の京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)のコラージュのスクーリングで、完成した作品を講師や受講生から褒められたことや、アーティストの知人のことなどをそれとなく思い出していた。
すると多くの美学生に共通した心性が浮かび上がり、しかし私の心性はその人々とは大きく異なっていることがはっきりした。
同じ出身校を通じた強い結びつき
私が2年間在籍していた京都芸術大学の写真コースの通信過程では、通信過程ゆえ年齢にかなりばらつきがあるにもかかわらず、多くの受講生がスクーリング終了後に近所の飲食店に集い、長時間話をしていた。
しかし私はそうした場の雰囲気を楽しむことができず、一度参加しただけで、それ以降はスクーリングを終えると直ぐに一人で帰るようになった。
またその他のアーティストの知人に目を移してみても、やはり多くの人が共同でアトリエを構えたり、お互いの展示を見に行ったりするなど、卒業後も仲の良かった同級生や恩師との関係を維持している。
しかし在学中から周囲にあまり馴染めなかった私は、卒業を待たず芸術教養学科に移った時点で既に同級生とは疎遠になってしまった。
未練をほとんど感じなかったため、すんなりコースを変更できた
そのコース変更も、当時は写真コースのある科目で完全につまずいてしまい、このままでは卒業できないとの危機感からの決断と認識していた。
ただ今振り返ってみると、もし当時同級生と非常に仲が良かったならば、コース変更はその人たちとの付き合いが減ってしまうことを意味するため非常に寂しい思いをし、したがって両者の葛藤に苛まれていたことだろう。
しかしそうした未練をほとんど感じなかったため、誰にも相談することなく、自分にとってのメリットだけを考えてさほど悩むこともなく決断することができたのだと思う。
当時は卒業するために必要な決断であったし、またコース変更後も芸術一般の見識が劇的に広がるなどのメリットを感じたため、非常に適切な選択だったと確信していたが、前述の同級生やアーティストの知人のことを考えると、私のようなアクションは稀なケースではないかと思う。
この最後のコース変更についての洞察は、今回の夢分析で初めて得られたものであり、この点が一番の収穫であった。
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