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野心溢れるアート作品志向の写真家の自尊感情が表れた夢@夢分析

2017年4月1日(土)の夢日記。

夢の内容

新宿PePeの駅に向かう通路にある階段のような場所にいる。
何人かの男女が、学校にあるような机に座っている。

よく見ると、その人々の足か机の脚かは分からないが、その人によって数が違う。
それには意味があり、2本しかない人は、その人自身のことにフォーカスされていることを意味し、沢山ある人は特徴のないその他大勢の存在であることを示しているらしい。

夢から醒めた時の印象

夢から醒めた直後は、前日の悩みを反映しているように思えました。
その悩みとは、今あるカウンセリングサービスから、そこのカウンセラーにと誘われていますが、契約書をよく読むとリスクが高い気がしてきて正式に契約を結ぶべきかどうか迷っていました。

プチ夢分析

野心溢れるアート作品志向の写真家の自尊感情が表れた夢

しかし今あらためて夢日記に記してみると、その解釈はあまり腑に落ちず、むしろカウンセリングの仕事のことよりも、昨日写真家のHPに投稿した「Cotenの利用者層からの考察〜展示を経験した写真愛好家の中からプロの写真家が生まれる可能性を秘めたサービス」という記事との関連が深いような気がしてきました。

この記事では、野心を持ったアート作品志向の写真家は、誰でも展示できる場所ではなく、むしろ誰でも簡単には展示できないような要求度の高い場所での展示を目指していることについて触れています。
このことが夢の足の数の違いの意味と符合しているような気がします。

具体的には野心溢れるアート作品志向の写真家が2本足の人と、展示場所を選ばない写真家が沢山足のある人と対応しているように思えます。

もちろんこれは、展示場所を選ばない写真家はその他大勢の存在に過ぎないという意味ではなく、展示場所にこだわる野心溢れる写真家の自尊感情の有様を示しているということです。

具体的には、これといった特徴のない作品を作る個性のない、それゆえその他大勢の扱いを受ける写真家ではなく、際立った特徴(=個性)を有するがゆえにその点に注目が集まる(=フォーカスされる)ような写真家になりたいとの願望です。

秘めたる願望?

もっとも今私はその願望を写真家のステレオタイプとして記述しています。
ですがそれは単なる考察なのか、それとも私自身あまり自覚のない秘めたる願望なのか、もう少し探ってみたいと思っています。

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