2018年9月27日(木)の夢日記(その1)
夢の内容
カフェで作家の知人と、互いに興味のある展示の話をしている。
知人から聞いたギャラリーの展示も気になるが、それよりも家の近所にある、すべてが四角形の重厚なコンクリートで構成されたモダニズム建築風の美術館の展示の方が、なぜかとても気になる。
夢分析
石碑のようなモダニズム建築風の美術館
モダニズム建築風の美術館の展示内容はまったく覚えておらず、建物の造形面だけが強く印象に残っていました。
その建物は最高裁判所を連想させますが、同時に石碑のようにも思えました。
なぜなら、それはどこか建築物としての用途を果たせないような作りに思えたためです。
幼稚園児の頃の奇妙なブロック遊び
すると突然、そのコンクリートが高くそびえる構造物の一群から、子どもの頃の記憶が蘇りました。
恐らく幼稚園児の頃だったと思いますが、その当時弟とよくブロック遊びをしていましたが、私はなぜか跳ね橋のようなものを作らずにおけませんでした。
ここで重要なのは、当時の私は跳ね橋を作りたかった訳ではなかったことです。
では何を作りたかったのかといえば、当時の私の精神内界には、自ら作り出した無数の法則やルールが存在し、日常生活の多くがそれらに支配されていたため、時々母親から「気持ち悪いから止めなさい」と叱られたものでした。
したがって跳ね橋のような構造物もそのルールに従って構築されたものでした。
アウトサイダーアートに通じる硬直さを伴う独創性
今ではそれらの法則やルールをすっかり忘れてしまいましたが、ただ幼稚園児の頃の創作物は、今の私から見ればとても独創的に思えます。
幼児の創作物の独創性は、大人と異なり立体視に関する絵画的手がかりなどをまだ習得していないためというのが一般的な見解ですが、私の場合はそれに加えて前述の奇妙な法則やルールに支配されていたことも大きく関係しているように思えます。
なぜなら幼稚園児の頃の創作物は独創性は感じられるものの、伸び伸びとした自由さのようなものはほとんど感じられないためです。
むしろ当時の私の作品は、統合失調症の方が描く緻密なアウトサイダーアートに通じる硬直さが感じられるものでした。
ですから幼稚園に入学すると同時に、集団生活においてたちまち不適応に陥り、様々な精神症状を発症したのも当然かもしれません。
今でこそ、こうして単なるエピソードとして淡々と記述できますが、当時は地獄のような日々でした。
絵画的手がかり 参考文献
「絵画的手がかり」参考ページ:
私説:子どもの絵が独創的なのは、線遠近法的に外界を知覚するための「絵画的手がかり」をまだ習得していないため