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母と祖母&グレートマザーの策略@苦手な人のプロセスワーク

うしろ向きに馬に乗る/アーノルド&エイミー・ミンデル著 57~79ページを読む。

苦手な人のプロセスワーク:

まず、あなたに他対立する人物を想像します。あなたのことを好ましく思っていない人、あるいは、かつてあなたを傷つけようとした人を思い描いてください。(P.57)

母のことをプロセスワーク

せっかくですから、前回エッジを見出すプロセスワークで現れた「母」のことをプロセスワークしてみます。
過去よりも “今” 現れているプロセスに取り組む方が、プロセスワークにとっては自然な流れですから。

プロセスワーク開始:

前回現れてきた母の言葉に注意を向ける。
「あんたに出来るわけないでしょ!」
「あんたに着こなせるわけないでしょ!」
ボクは中学になるまで、自分で服を買うことを許されなかった。
ある日、母と弟と、そして「山のおばさん*」と4人で札幌に出かけた時のこと。パルコかどこかのショップで白いシャツを選ぶと、間髪入れずに母の声が飛ぶ。
「あんたに着こなせるわけないでしょ!」
途端に萎縮。すると、山のおばさんが(母に対して怒ったように)「そんなことないわよ」と味方になってくれた。自分の好きな服が買えたのは、この時が最初だった。

*山のおばさん

母の高校時代の同級生。山の梺に住んでいたので、山のおばさんw
子供がいないせいか、ボクと弟をとても可愛がってくれた。

母の支配欲=溺愛

母は、とにかく支配欲の強い人で、ボクの生活のあらゆることを支配しようとした。先ほどの服のことばかりでなく、門限(5時!)、毎日のジョギングの強制…etc.
大人になってから、何であんなとことをしたのか訊いてみたことがある。すると
「夕食の時間が5時だから」
「部活に入ってなかったので、何か運動した方がいいのかなと思って」
と、 “笑顔で” 答えが返ってきた。
(はぁ~? 何だ、その思いつきみたいな理由は?)
余計に怒りが込み上げてきた。
そんな取り留めのないことを、母はなぜヒステリックにわめき散らしてまでボクに強制したのだろうか?
母には、明らかに性格の二面性がある。
さらに不思議だったのは、弟(何でも自由にさせてもらっている弟が羨ましかった。)のことは呼び捨てなのに、ボクのことは「お兄ちゃん」と、ちゃん付けだったことだ。
「憎しみ」からの行動なら「ちゃん付け」で呼んだりはしないだろう。
余談だが、母は今でも自分のことを「ママ」と呼び、ボクのことを相変わらず「お兄ちゃん」と呼ぶ。「恥ずかしいからやめてくれ」と言っても効き目なし。当に還暦を過ぎているというのに…
以上のことから推測するに、母の異常なまでの支配欲は、ボクに対する溺愛からだったのではないのだろうか?
これは先日の摂食障害のナラティブセラピーの世界そのままだ。

植え付けられた「父への嫌悪」

もうひとつ、母の口癖を思い出す。
「大きくなっても、パパのようにだけは、なるんじゃないよ。」
これは、母のみならず(母方の)祖母からも言われ続けた言葉だ。
ボクの父親の「下品さ」への嫌悪は、このことが一因のような気がする。また同時に、「男性一般に対する不信感」(裏に「別の本音」が隠されているような気がしてならない)として影を落としている。
どうしてもっと早く気づかなかったんだろう?

母の恋人役

ここで、恐るべき連想が働く。
母は、どうしようもない父に代わって、ボクに恋人の役を求めたのではないだろうか?
そして、自立されては都合が悪いので「お前はダメな人間だ。私がいないと何もできないんだよ。」というメッセージを与え続け、骨抜きにする必要があったのではないだろうか?

先祖代々からの伝統

もう一つ気になることがある。「父への嫌悪」への祖母の加担だ。祖母にも同じような傾向が見られるということは、先祖代々受け継がれてきた可能性がある。

父も犠牲者だった…

思えば、父は婿養子のような形で結婚した。母の家系が資産家でも商売人でもない、にもかかわらずである。
それからの父は、賭け事にハマり借金を作り、暴力を振るうなど、世間から見ればダメ人間そのものだっだ。
そして、今現在の父は糖尿病が悪化して緑内障を併発し、このままだと寝たきりになってしまうだろう。それでも父は(母の話だと)体のことを一切気遣うことがないという。まるで、生きることを放棄してしまったかのようだ。
今までの考察を踏まえると、「ボクが一人暮らしで別居した今、代わりに父親がかつてのボクの役割を担わされている」のではなかろうか?
あんなに忌み嫌っていた父が、実は犠牲者だったなんて…
今の父を見ていると、「父の人生は幸せだったのだろうか?」つい、そう思ってしまう…

アレルギーの正体?

ここで急に体中が痒くなる。ボクは(5歳の頃から!)アレルギー体質で、花粉症、果物アレルギー、そしてアトピーほどではないけど、時々ステロイド剤のお世話にならなければならないほど体が痒くなる。
今その症状が出たということは…今回の分析と関係があるのかもしれない。
さっそく痒みに意識を向けてみるが、残念ながら何も起こらなかった。

女尊男卑(グレートマザーの働き)

最後の分析。
ヒステリックな時の母と祖母は、完全に常軌を逸していた。何かに取り憑かれているようにさえ見えた(事実、その状態の時のことをほとんど覚えていないらしい)。
この事と、「先祖代々受け継がれてきた」事とを考え合わせると、もはや個人を超えたモノの力を想定せざるを得ない。全てを抱え、呑み込む、グレートマザーの否定的側面の働きを思わざるを得ない。
ボクの家系は「男尊女卑」ならぬ女尊男卑の伝統に支配されている。このままでは、(グレートマザーに)骨までしゃぶられて惨めな死に方をするだけだ…
以前に書いた狐憑きの記事のことを思い出した。

エッジと折り合いを付ける:

…この人物と闘うのではなく、むしろその立場に立ってみます。(P.57)

ボクの場合、抵抗が強過ぎて「母の立場」に立つことができませんでした(滅多にないことですが…)。

この人物は得てして、成長を望んでいるものの行き詰まってしまっている、あなた自身の一側面である場合があります。(P.57)

明らかに変化に対してブレーキをかけています。

そのような(エッジの)考えは、幼い時には意味があったかもしれませんが、今はそうではありません。(P.58)

エッジとは『人生脚本』そのもののようです。

私はその人物と内面で対話し、自分を邪魔している理由について話し合うことを好みます。(P.58)

ボクもそうです、今回は上手く行きませんでしたが…
余談ですが、以前のボクは「エッジを越える」ことに関心がありました。しかし、ワークショップでどんなに素晴らしい体験をしても(至高体験と呼ばれ、強烈な高揚感を伴います。)数日立つと、すぐにいつもの状態に戻ってしまいました。
当時は分かりませんでしたが、これは「エッジと折り合いを付けていない」ことが原因です。これでは至高体験を求めて、ワークショップ中毒になりかねません。
エッジと取り組むことは決して心地よいことではありません。しかし「変わる」ためには避けて通ることができない道のように思われます。
それにエッジを越えるだけでしたら、毎日『夢』の中で行っているわけですから…

山のおばさん、倒れる:

話を戻します。数年前、山のおばさんが突然、脳溢血で倒れました。
思えば母は、裕福で華やかな生活を送っていた(おまけに「山のおじさん」はスポーツ万能の事業家!)山のおばさんのことを、どこかで羨んでいた気がします。それに加えて、あろうことかボクの味方をしてしまった。
ここまで来ると、まさかグレートマザーの怒りに触れたのでは? などと考えてしまいます。

苦手な人のプロセスワークを振り返る(素質の存在):

ひとつ注意が必要なのは、ボクと同じような境遇で育てられたからといって、必ずしもボクと同じような性格になるとは限らない、ということです。
ぼくのように「親の言いなり」になる子供もいれば、逆に「何くそ」と反抗して全く正反対の性格に育つ子供もいます。そこには明らかに、生まれながらの素質が存在しています。

補足1:吉兆

この記事を書いた翌日、新規の仕事が舞い込んで来ました。この出来事は、上記の分析があながち的外れではないことを示唆しているように、ボクには思えます。

補足2:果物アレルギー消滅

さらに数日後、リンゴとアメリカンチェリーを食べたのですが、驚くことにアレルギー反応が起きませんでした!
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