2019年3月17日(日)の夢日記
夢の内容
(架空の)行きつけの老舗のパン屋へ行く。
大好物の菓子パンを買いたかったのだが、あいにく売り切れ…
するとドイツ風のかなり大きな丸い食事パンが目に留まる。
年配の女性がそのパンを買うために、同年代の女性店員の説明を受けている。
(具体的な大きさは忘れてしまったが)ある決まった大きさにカットして売る方針らしい。
これでもいいかなと思い、カットされたそのパンを1つ手に持つが、買う決心がつかず、そうかと言って棚に戻すこともためらう。
夢分析
歪んだ合理的思考パターン
夢の後半部分の、ドイツ風の食事パンを手に持つシーンから、若い頃に極度に合理性に囚われ、その結果かえって行動が制限されるなどの不利益を被っていたことを思い出しました。
例えば、ある場所に行く場合に、そのルートの途中にあるお店もついでに回った方が合理的なので、その店に行く用事ができるまで留保するという考えです。
しかし実際は予測できない事態が生じてしまい、時間がなくて肝心の最初の場所に行けなくなってしまうことがしばしばありました。
もっとも私のような考え方は、恐らく本来の合理性とは異なるものでしょうから、あくまで独りよがりな合理主義です。
この思考パターンは、夢には次のような形で現れているように思えます。
せっかくパン屋に来たのに何も買わずに帰ってしまうと、ここまで足を運んで来たことが無駄になってしまう。だから何か買って無駄ではなかったことにしなければならない。
ここでの購入動機は、お目当てのパンが売り切れだったが、どのみち何かパンを買いに来たのだから別のパンにしたということではなく、パン屋まで足を運んで来たという行為を無駄にしないことが目的となっています。
こうして特に食べたくもないパンを手に取ったために葛藤が生じ、それで身動きが取れなくなってしまったのではないかと考えられます。
奇妙な合理的な?ルールが無数に存在
若い頃の私には、こうした自分の行動を著しく制限してしまうような奇妙なルールが無数に存在していました。
しかしそのルールを守ることが何より重要で、そのルールが皮肉にも自分の人生を不幸にしていることに気づかず、あるいは稀に気づくことがあっても「それでも従わねばならない」と思い直すだけでしたので、改善することはありませんでした。
ちなみにこうした私の思考パターンの性質は強迫思考と考えられますが、精神分析的な解釈ではそれに加えて苛酷な超自我の働きを想定するでしょう。
また病態水準と呼ばれる同じく精神分析の病理の重症度を表す基準に照らせばパーソナリティ障害水準と考えられます。
その根拠は自分の考え方に問題があるとの自覚がないためです。
追伸)これらの歪んだ合理的思考へのさらなる考察を、近々心理カウンセリングのサイトの方に掲載する予定です。
掲載しましたら、このページからもリンク致します。
追伸2)夢の細部を後から思い出しましたので、2ページ目にその内容と新たな解釈を掲載しました。
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